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こんにちは。おととい講演をしていただきました愛知県岡崎市の中学校の教員です。お話は大変興味深いもので、まったく眠くなりませんでした。 野口さんのお話の中の生と死にかかわる部分が特に印象に残りました。
私は教員9年目ですが、その前には3年間大学病院とホスピスで300余名のがん患者を看取りました。ベッドサイドにすわり、手を握って1時間じっくりと患者さんの話に耳を傾ける仕事をしていました。現在はその体験を下に「いのちの授業」「生を豊かにする死の授業」を行わさせていただいております。100名の人がいれば100とおりの死があります。そのひとつひとつにさまざまなドラマがありました。そのような場に「教育」を研究していた私が、3年間も関われたことは、何かそこに私だけの使命とも言えるものがあるのではないか、と微力ながら感じています。医療者外で、しかも医学や看護学を専門としないで、ターミナル専門の場に出た、日本最年少と言われていました。この点はなにか似たものを勝手に感じてしまいました。
野口さんの死生観がにじみ出るお話やお話の仕方があり、自分との違いや同じことをずっと考えておりました。 最大の違いは野口さんは自分自身が死の危機に立たれたわけですが、私は自分は常に健康で死んでいくのは患者さん、という点でした。 同じことは、「エベレスト山頂も自分の町も同じ」「死ぬ数日前の1日も、健康な今日1日も同じ」と気づいた点ではないか、そう思います。
なにかこう、人の興味を引くために極端な死ばかりをとりあげるメディアが多すぎ、死について正面からたずねられたときに逃げ惑う大人が多すぎるように思います。みんなが自分の生と死についてもっと思索を深めたり、特別でないごく普通の死に出会うこと、そして自分の死と親和的に、仲良くなることを望みます。そのことが野口さんのおっしゃる環境問題を解決する道につながるように思うのです。我々が我々の体にさまざまな治療や改良を加えるのと同じように、地球にメスを入れているように思われてならないのです。
少し長くなりました。
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