野口健のこだわり
メルセデスベンツ クリーンディーゼル車『E320 CDI』
富士山の清掃活動をはじめ、テレビ出演、講演活動など全国各地をとびまわる野口だが、その際の足として野口を支えているのが、ディーゼル車だ。日本では一般的に環境に悪いというイメージが強いディーゼル車だが、1997年の革命的なエンジンの技術開発を契機に、ディーゼル車の悪しき象徴でもあった「黒い煤」も今やガソリン車並に低減している。
以前からディーゼル車の技術革新と環境負荷の低減に興味のあった野口は、2008年6月18日、札幌市にて開催された「北海道クリーンディーゼル体感フェア」に参加。専門家と意見交換を行った。フェア終了後にはメルセデス・ベンツ日本株式会社のハンス・テンペル代表取締役社長兼最高経営役員が「富士山の清掃など環境保護活動のため全国を飛び回る野口さんに乗っていただきたい」とその場で野口にクリーンディーゼル車『E320 CDI』の提供を約束された。
野口のクリーンディーゼルに対する考えは、野口健メッセージに掲載されている「私のエコカー」をご覧ください。
さらにクリーンディーゼルについて詳しくなりたい方は、
クリーンディーゼル車の詳細については、『ディーゼルこそが、地球を救う』著者である慶應義塾大学大学院政策メディア研究科の金谷年展教授と野口の対談をご覧ください。
慶應義塾大学大学院政策メディア研究科の金谷年展教授と
メルセデスベンツ クリーンディーゼル車『E320 CDI』と
野口健のこだわり 「ニューバランスシューズ」
アメリカ・マサチューセッツ州ボストン生まれの野口健は、同じく1906年にマサチューセッツ州ボストンで創業したスポーツシューズメーカー「new balance」を愛用している。
アルピニストにとって、日頃からのトレーニングは非常に大事である。野口健は、普段からトレーニングしているときにニューバランスを愛用しており、その履き心地や耐久性に惚れ込んでいる。
アウトドアでの活動が多い野口健は、足にフィットしたシューズでなければ満足できず、その点ニューバランスは直営店で足のサイズをしっかり計測し、また、シューズの幅が選べるため、しっかりとしたフィットしたシューズを提供できる。
new balanceは本格的な山岳シューズは発売していないが、軽ハイク用な里山歩き様のトレイルウォーキングというカテゴリーのシューズがあり、防水・透湿にすぐれた素材や、不整地でもしっかりとしたグリップをもたらす設計となっているシューズを現在愛用している。
エベレストのベースキャンプや、清掃登山、小笠原自然学校の時に使用しており、野口健の活動を支えている。
上記の写真はヒマラヤ遠征の模様。野口は毎年、4月、5月の2ヶ月間、また年末の1ヵ月間をヒマラヤにて過ごす。ニューバランスのシューズは、ヒマラヤでの清掃活動や高所順化トレーニングなどアイゼンやピッケルを使用するいわるゆヒマラヤ登山に入るまで野口の足元を支えている。
野口健のこだわり 「馬肉料理の菅乃屋」
世界中の馬肉を食べた野口健が「馬い」と絶賛する!!
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| 馬ーい!! |
講演で訪れた全国津々浦々。それぞれご当地の美味しいものがある。北海道では新鮮な海産物。仙台では牛タン。静岡で食べた美味しいうなぎ。兵庫で食べたカニ。四国のうどんも美味だった。
日本には美味しいものがいっぱいある。訪れた場所でそこの郷土料理や名産品を食べるのが楽しみの一つでもある。
その中でも今回食べた馬肉は馬肉印象を一気に上昇させた。今まで馬肉を食べたことが無かったわけではない。秋田や鹿児島でも馬肉を食べ、その時は舌打ちした思い出がある。都内でも馬肉を扱っている店もあるが、半分凍っている状態で出されることもある。もっとも、都内ではそれほどいい店に行った事がないのだが・・・。
講演で訪れた熊本。熊本に行ったら馬肉。訪れるのが楽しみであった。
夜10時前くらいにホテルにチェックインし、チェックインを行ったらすぐに街へと繰り出した。ホテルのフロントで馬肉の美味しいお店を紹介していただき、木道のような、道の真ん中に木を敷き詰めたアーケードを潜り抜け、街のネオンや漂う美味しそうな熊本ラーメンの匂いにも負けず、一目散にそのお店に向かった。お店の名前は「馬肉料理 菅乃屋 銀座通り店」
地下1階の落ち着いた雰囲気のお店だ。
入り口からすぐのレジの壁には有名人の色紙がずらり。だから美味しいというわけではないことは外食の多い食生活を送っている僕は良く知っている。そんなことはさておき、メニューは馬肉料理が殆ど。鮮馬刺しをはじめ、鮮馬刺しフタエゴ 、コウネ刺し、レバー刺し、特選馬刺しのタタキ、ステーキや焼肉、馬刺しのにぎり、しゃぶしゃぶやすき焼き、馬バラ肉のスープ等々、馬肉を使った料理ばかり。ひとまず馬刺し盛り合わせに馬刺しのユッケ、しゃぶしゃぶ、馬刺し納豆をオーダー。同時にスペイン産の赤ワインもお願いした。
まず、馬刺しの盛り合わせには度肝を抜かれた。綺麗に霜振ったトロのような赤身から心臓、大動脈、たてがみの付け根にばら肉、そしてレバー。やはり一番美味しかったのは赤身の部分。口に入れた瞬間にいやみの無い香りが漂い、噛めばちょうど良い油が下に絡む。そして噛めば噛むほどに甘みが増すのだ。牛や豚では感じることができなかった甘みと香り。筋も無く飲み込むのがもったいないくらいであった。ポン酢やしょうゆ、レモンやしょうがネギをつけて食べたが、僕はゆず胡椒に辛口のしょうゆをつけていただくのが一番好きだった。またレバーもさながら、臭みは全く無く、ごま油に岩塩を混ぜたたれにちょこっと浸し、口の中に運ぶのだが、これがまた絶妙。

「自社牧場を持つこの店だから新鮮なうちに美味しく召し上がっていただけるのですよ」とお店のスタッフの方がおっしゃっていが、こちらは舌を鳴らすばかりだった。そしてもう一つのお気に入り素材は馬の大動脈。見た目は3ミリ四方の白く細長い物体。イカとか貝といったようなものだ。食べてみると歯ごたえはまさに貝柱。しかしこれまた変わった食感が僕に感動を与えてくれた。馬刺しのユッケはやはりゴマをふってごま油と特性のたれを混ぜていただいたのだが、ゴマとごま油の風味と馬肉の醸し出す甘さが絶妙にマッチ。馬のお肉の美味しさをまたまた再確認させられたのであった。
ただ今回失敗したオーダーがひとつ。納豆とワインの組み合わせだ。単体で食べた馬刺し納豆。納豆好きな僕としてはイカ納豆や、オクラ納豆など、納豆とつくものは必ずといっても良いほど注文するといっても過言ではないだろう。今回そんな調子で注文したのだが、飲み物として頼んだ赤ワインとの組み合わせが、これほど悲惨だとは思いもよらなかった。納豆を食べた後にグラスに口をつけ、一口飲んだ瞬間、納豆の香りが以上に目立ち、何だか苦味まで発する。馬の肉の味を感じることなど到底できず、もう二度と納豆と赤ワインは一緒に頼まないと誓った。知っている方もいらっしゃるかも知れませんが、納豆と赤ワインの組み合わせだけは絶対に避けたほうがいいでしょう。
今回の発見は「馬肉が旨い!」ということ、そして「納豆と赤ワインの組み合わせは最悪!」ということ。
「馬肉料理の菅乃屋」ウェブサイト http://www.suganoya.com/
野口健のこだわり 「ウイスキー」
知られざる野口健とウイスキーのエピソードを公開!!
野口には忘れられない絵がある。その絵は、形としては存在しない。そのときどきに微妙に変化する不思議な絵だ。どんな絵か。舞台はイギリスのストラッドフード。シェークスピアの生家がある落ち着いた町だ。釘が一本も使われていない、木々を組み合わせて建築された古いバーがある。天井が高く見上げると銅製の扇風機がゆっくりと回っている。巨大な暖炉があり、炎がパチパチとはぜる音だけが静かに流れている。暖炉の前にはアンティークの椅子とテーブルがあり、そこに13歳の野口健と父・雅昭が無言でウイスキーのグラスを傾けている。閉店間際の時間帯で、客は二人だけだった。そういう絵だ。
イギリスでは保護者同伴の場合、アルコールを子供が飲んでもよいという風習があった。野口はよく父と通い、議論をした。バーへの行程は大人の世界に徐々に入り込んでいくトンネルでわくわくした。ただこのときは違った。数ヶ月前に野口の産みの母親・モナが家を捨てた。父・雅昭は無言でバーに向かい、いつものようにオールド・パーのストレートとチェイサーを頼んだ。何も話さなかった。永い時間が過ぎた。どのくらいかは実際には覚えていない。本当は短かったのかも知れない。口を開くと母・モナのことに触れてしまうことは互いにわかっていた。だから黙るしかなかった。
夢で見た迷路がある。どの入り口から入っても必ずある地点だけは通過するという迷路だ。野口は高熱を出したときに、きまってその夢を見た。絶対に通過する地点というのは、巨大な穴だった。それが通過できるのか落ちるしかないのかよくわからない。その穴が怖かった。だから野口は夢の中でどの入り口にも足を踏み入れなかった。
それと似ている、そんなことを考えながらも、母との時間が頭をもたげる。母と絵を描いたことや馬に乗ったこと、ぶたれたこと、弁当がいつもレバーだったこと、そういう具体的なエピソードが浮かんできて、急激に落下していくような恐怖があった。肺の小さな細胞に炭酸水が染み込んでいくようにじわじわと痛みがある。必死に違うことも考えようとする。だけど、思考がまとまらない。父に視線を向けるとただうつむいている。そしてウイスキーのグラスをくるくると回している。父も同じような感情を抱いているんだろう、と思った。そして父も自分の感情を気遣っているということがよくわかった。無言の空気がそれを伝えていた。
暖炉のパチパチという音だけがあり、暖炉の炎が木の壁に二人の巨大なゆらめく影を作った。「あと10回パチパチがしたら話そう」
野口はそう思った。パチパチはすぐに10回を超える。「あと10回」何度そう思ったことか。結局、時間だけが過ぎていく。パチパチという音が時間を表象している。炎の時計だ、そんなことを野口は思った。
ウイスキーを一気に口に含む。吐き出したくなるが、それを飲み込む。
「これを飲みきったら言おう」
そう思った。ただ何を言えばいいのかわからなかった。
喉奥の粘膜を焼ける炎の玉が通過して、食道の壁に熱を発散し、胃の一番低い部分に熱いものがたまった。そのときうつむいていた父が「なんだが、むなしいなあ」と言い、立ち上がり、野口の背中をたたいた。妻に捨てられた男と、母親に捨てられた息子が2人でこのピンチを乗り越えようと語り合った。
時が流れた。現在、野口の食卓には大きなテーブルがある。眠れない夜、そこでスコッチ・ウイスキーを傾ける。壁には一枚の絵がある。母、モナの描いた赤い一輪の花だ。色あせて赤い花は首をもたげている。ウイスキーの原液を流し込み、酔いがまわってくる。野口が一人、赤い花を見ている。凝視していると、その赤の中に、あのときの暖炉の炎が見えてくる。そこには少年の自分と父がいる。
あのイギリスのバーの夜がそこにある。それはもう一枚の絵になっているのだ。その絵の中を探検する。バーの壁にはシミがある。かさぶたのようなシミだ。悲しみだったり、憎しみだったり、寂しさだったり、愛情だったり、色々なかさぶたがある。かさぶたを強引にとると鮮血が吹き出る。そんなことを思いながら、一人グラスを傾ける。
野口健のこだわり 「カメラ」
知られざる野口健とカメラのエピソードを公開!!
野口の事務所には古いカメラがある。Nikonが生んだ名機「FM2」である。野口が13歳のとき、父にねだって買ってもらったカメラである。当時、野口は父の仕事の関係でイタリアにいた。
野口は父にカメラをねだったが当然、そんな高価な買い物を父が簡単に許すわけがなかった。そこから野口の挑戦が始まった。野口親子は野口が中学生の頃から酒をくみかわす仲であった。ある日、野口は決行する。父に日本酒をたらふく飲ませ、泥酔させたその瞬間、野口は父にカメラが欲しいと切実に訴える。
酒を飲み気持ちが大きくなった父は、「おー買ってやる」と言った。その言葉を再確認し、すぐさま野口は、日本にいる兄に電話をした。気をよくした父は兄に「今すぐ買って、すぐに送れ」と言ったのだった。
兄はわけがわからぬままカメラを購入し、送ってきた。
野口はカメラが届くまでその話を一切父にしなかった。途中で気が変わったら困るからだ。届いたカメラを手に「お父さん、ありがとう」と言うと「なんだ、それは」と父は驚いていたが、後の祭りだった。
それ以来、野口はそのカメラを手に、世界の7大陸の最高峰に登頂する。FM2は今でも第一線で活躍する野口のパートナーである。
野口健のこだわり 「時計」
知られざる野口健と時計のエピソードを公開!!
野口と時計のかかわりは意外と深いものがある。アルピニストにとって時計は大事な登山道具の一つである。ヒマラヤに過去33回赴いている野口だが、以前は登山に適した時計がなく困っていた。あるとき、SEIKOに「本物の登山用の時計を作りたい」と提案をした。
そしてSEIKOと共に「野口健Special」を開発したのである。たとえば素材がステンレスの場合、冷えて凍傷になりやすい。そこで素材をチタン、セラミックに変えた。また高所だと身体全体がむくみ、時計のベルトのサイズが合わなくなる。「野口健Special」では、金属ベルト部分にゆとりを持たせ、サイズが自在に変更できるようになった。これは世界初のことである。
結果、3種類の「野口健Special」が完成した。これを機に野口は時計にこだわるようになったのである。そしてエベレスト登頂成功の際などの記念の折には時計を購入するようになる。
中でも最も大切な時計は、1970年代のSEIKOダイバーズウォッチだ。これは故・植村直己氏が愛用していたものと同種である。99年、三度目のエベレスト挑戦の際、シェルパの長老からいただいたものだ。シェルパの長老は野口に「これをもっていきなさい」とアタック前に時計をくれた。
実はその時計は、70年代半ばにシェルパの長老が日本隊のエベレスト遠征の際に同行し、登頂が成功したあと、隊員からもらったものだった。長老は「これはエベレストサミッターだ。ケンにとってgood luckだ」と言ったものだった。そして99年、この時計と共に三度目の挑戦でエベレストへの登頂を果たしたのである。
野口健のこだわり 「きのこ」
世界中のきのこを食べた野口健が絶賛する!!
野口はヒマラヤから戻ると高所でのダメージが残っているため、様々な方法を用いてその回復につとめます。断食でドロドロの血液をサラサラにしたり、テンピュールの枕で熟睡したり・・・
もちろん食事にも気をつけます。お寿司には目がない野口ですが、そう毎日お寿司ばかり食べていられません。身体にダメージがあるときなどはまだお米をうけつけないということもあります。
そんなとき、いつも野口が好んで食するのが「きのこ」だったりします。
また山に入ると野口は、森の匂いを楽しみ、その余韻が残っているうちに、森の一部であるきのこを食するという贅沢が好きでもあります。
中でも小諸市にある、きのこ狩ときのこ料理専門店「きのこの森」は大好きです。
店主のこだわりぬいたきのこは多忙なスケジュールで疲れた野口をゆっくりと癒してくれます。
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| 今が旬のきのこ |
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| きのこの森の前で |
きのこの森
きのこ狩ときのこ料理専門店
電話番号 0267-22-6665
野口健のこだわり 「寿司」
世界中の寿司を食べた野口健が絶賛する!!
昨日、富士山一斉清掃から戻りそのまま千葉の鎌取にある「まなぶ」というお寿司屋さんに出かけ、今日は世田谷の三宿にある「金多楼」というお寿司屋さんに行きました。2日連続の寿司ですが、僕にとってはとても大切な時間であり大切な場所。ズッと突っ走ってきてふと気がついたら自然と足が向いている。ホットするんだなぁ〜。お寿司も好きだけれど、それだけじゃない。店の方、そして他の常連さんも大きく関係してくる。「まなぶ」も「金多楼」はどちらも僕にとってとても居心地がいい。そして寿司にも愛情があるんだなぁ〜 愛情をこめて握られたお寿司を口にすると心まで愛情に満たされるもの。愛情のないものばかりを口にすればそれだけの感性しか生まれない。だからできるだけコンビニにあるようなお弁当は食べない。あの冷え切ったお弁当に僕は料理人のこだわりも愛情も感じられない。
なかなか時間がなく好きなおすし屋さんにも行けませんが、その変わり少しでも時間があるときには一気に取り返します。昨夜、今日と大好きなお寿司屋さんで過ごせて胃袋も心も充分に満たされました。僕にとって最も贅沢な自身に対するご褒美です。「贅沢は敵」なんて言っていたから日本は負けた。「贅沢」は素敵でいいんです。ただ、なにをもって贅沢なのか。そこですよ。むやみに金をかければ贅沢なのかといえば、それも違う。僕の知り合いで銀座で一晩で何十万も飲む人がいますが、けっして満たされた顔をしていない。どこかで見栄が先走っちゃうと結局はその見栄を演じ続けなければならず、それはやっぱり無理していることになる。ホッと安らぐ場ではないのでしょう。お金じゃなく、最も好きな場所に大切な仲間と過ごせる、これが本当の贅沢。この自分流の贅沢な時間の過ごせ方があるからまた次へと頑張れる。
ちなみにはじめて「金多楼」さんに行ったときのエピソード。「まなぶ」さんの紹介だったのだが、予約もせずに突然、訪問したら、若旦那が僕の顔を見て、それはそれはものすごい驚きぶりでした。あまりの驚きぶりに、理由を聞いてみると、奥さんと「男の子が生まれたら健にしよう」と言っていたとのこと。
「金多楼」さんの若旦那の苗字は僕と同じ「野口」。つまり子供の名前を「野口健」にしようと話していたということです。でも頻繁に通ううちに奥さんが僕の性格を知っていき、「やっぱり健だけはやめよう」(笑)なんてことに。トホホな野口健でした・・・
「まなぶ」さんにて
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| 店主のまなぶさんと |
鮨処 まなぶ
住所 千葉市緑区おゆみ野3-33-7
電話番号 043−292−9789
定休日 木曜日
「金多楼」さんにて
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| 店主の野口さんと |
金多楼寿司
世田谷区三宿2−11−35
03−3413−4339 定休日 水曜日 ご主人の名前 野口 四郎さん |