 | はじめまして。田中穣さんにお世話になっている、一児の母親です。
子どもが3歳になり、自分が今の仕事である取材執筆・教育コンサルティング・研究活動を、ライフワークとして続けるを前提に、「どんな学校があるとよいか」と考えています。
それは、「寄宿舎制で、自然の中にあり、学問をし、自然の中で仲間と支えあい(自治)、数年間を成し遂げる『自然学校』」です。
その中にはもちろん、社会に出てから「実」を身につけるための素養も含まれます。いわゆる「お勉強」ではなく、「自分自身が生きていくために必要な、仲間を大切にし支えあう力・礼儀・教養・思考力・表現力・実行力の基礎となるもの」です。
そう考えると、なぜ日本にそういった目的の寄宿学校がないのか、不思議にも思えます。
小学校高学年以上になると、子どもは精神的に親から離れ自立を始めます。その時期に、質の高い経験を積むことは、子どもの未来にとって非常に大きな価値をもつと私は考えます。
ところで、植村直己さんが提唱されるほんらいの概念(理念)は、どういったものなのでしょうか?
少々異論をはさむようで申し訳ないのですが、私は仕事の関係で、自然学校や冒険学校を運営される方とかかわる機会も多いのですが、「自然学校」が社会の中でどういった意味合いをもつのか、イメージするところがなかなかしっくりこないのです。
もちろん、子ども(大人も)が自然と対峙し思考を高める体験は非常に重要であると考えます。じっさいにその場に身を置いてこそ悟れる事象は、その後の個々人の行動の原動力になり得るというのは、多くの人が体験していることです。
しかし、現在の日本でイメージされる「自然学校」が、「実学」と離れた場所にあるようなイメージを与えている気がするのは、なぜなのでしょうか。
また、このあたりを、皆様がどのように考えていらっしゃるのか、お聞きしてみたいと思います。
長くなりスミマセン。
自分が子どもに与えたいと望む場所は、「決して特別な機会ではない、自然の中で学問をし、基礎学力と素養を身につけ、自然の中で仲間と支えあい、数年間を成し遂げる『生き方を学ぶ場所』」だと考えます。
そんな場所について、皆様はどう思われるでしょうか。 |