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私は、「自己責任と危機管理」に関して、やはり、野口さんのご意見には違和感を覚えます。
現在日本で巻き起こっている「自己責任論」とは、実は「自己責任」とは全く対極にあるものです。
野口さんは今回の人質の人々が、経験も無いのにエベレストに清掃登山へ行って遭難したようなものと言う。 なるほど、では例えば二重遭難が予見されるにもかかわらず、家族が「助けてください」と叫んだ時に、野口さんはどうしますすか? 湾岸戦争の折の野口さんのお考えやお父様の言葉は単なるイフでしかありません。その場に身をおいた者の心情とはかけ離れたものであることは、間違いありません。そう叫ぶ家族が居るであろうことは十分予見できることですよね。
その家族に「自己責任だから」とお答えになりますか? そしてそのような声を挙げた家族を非難なさいますか? 私は違うと思います。野口さんは「危険すぎて助けに行けません」とお答えになるのではないでしょうか。 今回もそれと同じ。もし自衛隊の撤退が日本の国益を考えたらできないと思うなら、そのように言えばよいのであって、「助けてください」と言った家族を非難する必要は全くなかったのです。
では、なぜそれができないのか。 たとえ二重遭難の恐れがあったからとはいえ「できません」と言えば、それは自分にも一定の責任が生じる。ある意味、能力が無いと言うようなものだし、自分の意志で「見殺し」にするのですから。それで実際に命が失われれば、やはり心の痛みを感じるでしょう。それを、日本政府も、彼らをバッシングした人々も、避けたかったのですよ。
自分が「できない」と言いたくない。それで人質が死ねば寝覚めが悪い。だから「助けてください」という声そのものを、無かったことにしたかった。彼らの口を封じたかった。それがこのバッシングの正体ですね。 つまり「自己責任」が欠如していたのは、まさに彼らをバッシングしていた人々ってことです。彼らが、自分達が責任を取りたくなかったのです。
このような日本社会に今、世界は奇異の目を向けています。それにも気付かず、相変わらず彼らを叩いている人々の「平和ボケ」ぶりには悲しいものがあります。 14年前のように我々が人質にでもなった時、家族も自分達の身を心配したら今回のような目に遭うのかと考えれば、口をつぐんでジッと待つことになるのでしょう。どうせ日本の政府は何も助けてくれないのだと。
以上、現在中東で暮らしている一日本人の戯れ言を書かせてもらいました。
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