私は再び世界最高峰に挑戦すべく1998年8月20日、日本を発った。今度は中国サイドからの挑戦ではなく、反対側のネパ−ルサイドから挑戦することにした。なぜならば、97年のあのチョモランマ(エベレストの中国名)敗北を私は相当ひきずっていたからだ。あのチベット特有の乾いた空気、寒さ、強風に散々苦しめられた。もうあの地には行きたくない。それが私の素直な気持ちだった。また、秋季を選んだのも、春季よりも高温であり、天候が安定している傾向があるからだ。

アイスフォールに架けたはしごを上る |
登山隊のスタイルは、前回の公募登山隊のような大規模な組織によるものではなく、あくまでも私個人の隊を編成した。隊の規模は野口健1名、高所カメラマン1名、BCマネ−ジャ1名、清掃班2名、そしてクライミングスタッフ(シェルパ)5名、BCスタッフ3名である。チョモランマ挑戦の際に、公募隊の歯車となってしまい、自分自身の満足できる活動が出来なかったから、どうしても自分が中心となる隊を作りたかった。
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